2021-05-10 第204回国会 参議院 予算委員会 第18号
さらには、これは森元総理のお手柄もあるんですけれども、昨年、李登輝元総統がお亡くなりになったときに、七月三十日、九十七歳で亡くなった、そのときに、森元総理が団長として弔問外交で他国よりも早く台湾に駆け付けた。そのときにはもちろん、古屋圭司日華懇会長、今の防衛大臣であります岸信夫日華懇の幹事長、私も同行しました。
さらには、これは森元総理のお手柄もあるんですけれども、昨年、李登輝元総統がお亡くなりになったときに、七月三十日、九十七歳で亡くなった、そのときに、森元総理が団長として弔問外交で他国よりも早く台湾に駆け付けた。そのときにはもちろん、古屋圭司日華懇会長、今の防衛大臣であります岸信夫日華懇の幹事長、私も同行しました。
○国務大臣(麻生太郎君) 他の答弁とかこういうやり取りを聞かれた上でのお話だと思いますけれども、私どもはこの話を伺った後、弔問ということを当方から申し出て、向こうの方から断られたと記憶をいたしております。
○勝部賢志君 御遺族のお気持ちを推察されて今御答弁いただきましたが、私は、その御遺族の思いに、気持ちに思いを致すのであれば、やはりその思いに報いる対応をすべきだというふうに思っていて、以前に、私ではありませんが、別の方が、弔問をされるべきではないかという質問をされたときに、当初はその思いでいたけれども相手から断られたと、そして、その後、またの機会を得ようとしたときに裁判になったので、それで裁判中はどうしてもというお
○塩川委員 赤木俊夫さんの妻の雅子さんは、十月の裁判におきまして、俊夫さんの元上司が弔問に訪れた際の音声データを証拠として提出し、メディアにも公表しました。 その上司は、赤木さんが改ざんの経緯を詳細にまとめたファイルを作成していたと明かしております。
それから、今、当時の、御遺族の御了解いただければ弔問に伺いたいと思っておりましたので、そう申し上げておりましたけれども、なかなか意思の疎通がうまくいかなかったんだと、それ向こうは望んでいたと言っておられますので。
当時から、私ども、御了解をいただいていれば弔問に伺いたいということを申し上げておりましたけれども、なかなかうまくいきませんでしたし、過去数回弔問にも行かせていただきましたけれども、幹部が行かせていただいておりますけれども、この度、いわゆる原告と被告という立場になった等々いろんな、二年の歳月がなせるいろいろ難しいものがあるんだとは思いますけれども、私どもといたしましては、この二年間にわたりましていろいろ
○麻生国務大臣 これは、もう本当に、今から二年も前になりますので、今から考えましてもいろいろ思いのあるところでありますけれども、御遺族の御了解をいただければ弔問に伺いたいと申し上げていたんですけれども、そごねえ、そごなんですかね、とにかく来てほしくないという話になったと伺っておりましたから、私の方からは、一年置いたところで、うちからは、次官、官房長等々、近畿財務局の職員が複数回弔問等々に行かせていただいたということになったと
今、改めて、昨日、それから、この間ずっと、本会議あるいは参議院の予算委員会で議論がございましたけれども、そこでなぜか麻生大臣は、いや、墓前に行くことはもうできないということを、きょうの本会議でもおっしゃっていましたけれども、そうした答弁を聞いて、この赤木さんの奥様は、弔問に関しては、麻生大臣が裁判を理由に弔問を断るのはやはりおかしい、私に会わなくても、夫のお墓参りをするのはいつでもできるはずです、夫
二度と犠牲者を出さないためにも、財務省に徹底的な再調査を求めると同時に、財務大臣におかれましても、早急に御遺族が求められてきた弔問に行かれますよう、お願いいたします。 以上、財務大臣の御意見をお伺いいたします。 世界保健機関から新型肺炎に関するパンデミック宣言が出され、テドロス事務局長も十六日の記者会見で、全ての国に訴えたい、検査、検査、検査だ、疑わしい例全てに対してだと述べています。
弔問につきましては、当時から、御遺族の御了解をいただければ弔問に伺いたいということを申しておりましたので、御遺族の御了解もあって、次官ないし幹部を含む財務省本省や近畿財務局の職員が、過去複数回、弔問に伺わせていただいたところでもあります。 今も深く哀悼の意をあらわす気持ちに変わりはありませんが、報道によれば、御遺族は国を提訴されたものと承知をいたしております。
麻生大臣、先週、茶谷官房長は、我が会派の今井議員の質問に、赤木夫人のところに、いわゆる赤木さんの弔問について、御遺族の御意向を踏まえ対応したいと思いますと官房長は答弁されました。先週です。 茶谷さん、御遺族の意向は確認されましたか。いないの。じゃ、大臣、どうぞ。
○国務大臣(麻生太郎君) この弔問の件につきましては、当初から、弔問というものを、話を伺いたいと思っていることは向こうに申し伝えたと、私どもはそう思っています。事実、そう言いましたから。 今の話では、そういった話はないかのごとく今書かれたりしていますけれども、私どもしては、だから、その間に入った人がどうされたとか、いろんな話になるんですけれども、私どもはそう思っておりました。
しかし、赤木夫人に直接ではなくて、夫人の兄に電話があって、妹さんは大臣に来てほしいと言っていますが、マスコミ対応が大変だから断りますよと一方的に告げて、結局、大臣の弔問はありませんでした。その後来られた財務省の職員の方が、大臣の弔問を断ってくれてありがとうと言われたと。自分は断っていないのに何でそんなことを言われたんだろうというのが赤木夫人の今の思いです。
まず財務省に伺いますが、麻生大臣が、お墓にお参りに、弔問にということを希望されていて、きょう午前中も参議院でもやりとりがあったと思うんですね。そして、それは御遺族の方がお断りになった、そういうことで行かなかったということでございますが、これは、御遺族は、ぜひ来てほしいと奥様はおっしゃっていた。しかし、なぜか財務省の中では、来てほしくないということで麻生大臣は、弔問に、お墓参りに行かれなかった。
そうした中で、これは、ぜひ麻生大臣に、御遺族が弔問を希望されるのであれば、伺っていただきたい。 そして、もう一つ、その際に、きょうの質疑でも既に矛盾点がさまざま明らかになってきています。 これまでの、私から見てもやはりお手盛りだと言わざるを得ない財務省の調査報告書と、そして、赤木さんが、まさに、公文書は公務員にとって命だと言われる、その命を改ざんしろと強要されて、命を絶って抗議した。
○柚木委員 しかるべきところというのは、当然、麻生財務大臣御本人に、今私が申し上げている弔問、御遺族がいまだもって希望されているということですよ、私も伺っています。 そして、その際の、やはり単なる弔問ではなくて、この遺書、手記を見れば、今言われた調査報告書が、本当にこれは、私も該当箇所を読んで愕然としましたよ。
○那谷屋正義君 そうすると、改めて、この報道を見ますと、御遺族、またお連れ合い様は、麻生大臣に来ていただくことは大変ウエルカムだというか、是非来ていただきたいという、そんなお話をされているわけでありますから、その上で、もう一度そこのところを確認されるなりなんなりしても結構なんですが、もう一度、弔問に伺うという、そういったお気持ちはおありでしょうか。
三回忌ということではございませんが、御遺族の御了解もあって、次官ら幹部を含む財務省本省や近畿財務局の職員が過去複数回弔問に伺わせていただいたところでございます。今も深く哀悼の意を表する気持ちには全く変わりはございません。
○国務大臣(麻生太郎君) これは、あの当時、もうかれこれ二年前になりますので記憶が少し違っているかもしれませんけれども、間違いなく、御遺族の了解をいただければ弔問をさせていただきたいと、弔問させていただきたいということを思っておりましたので、私どもとしては、現地の財務局を通じまして御遺族にその旨をお伝えした。
では、伺いますけど、この方がお亡くなりになってから、財務省の関係者が、事務次官などですか、この方の御自宅に弔問されていますよね。弔問までしているのに、この方の自殺の原因となったことが書いてあるその手記、その手記について財務省として関知しないという、その理由を答えてください。
○麻生国務大臣 私の対応といたしましては、役所として弔問に行くべきではないかという問いに対して、先方に問合せをした結果、来てほしくないということだったので、伺っていないというように記憶しております。
焼けて何か尖塔が崩れ落ちる映像を私もテレビ画面で見ましたけれども、人が亡くなったときに弔意とか弔問とかの表明の仕方はあるんですけれども、こういう場合、ノートルダムというとフランス人にとってはある種精神的な支柱ともいうべきものですし、世界遺産にも登録されておる、何百年か掛けて造られた貴重な建物だというふうに私ども理解しているんですけれども、こういう場合、何か、外務省あるいは外務大臣として何らかのメッセージ
ただ、大臣、遺族に御焼香をするのを拒否されても、弔問を拒否されたとしても、そこまで伺って頭を下げてくる、これが私はリーダーの務めだと思いますよ。それがなぜできないんでしょうか。 あるいは、お忍びで行ったっていいじゃないですか。メディアの人がたくさん付いてきて、プライバシーの問題もあるというのであれば、夜、お忍びでもいい。
ただ、公職の候補者についての罰則につきましては、葬式にみずから出席し、その場においてする香典、あるいは、葬式の日までの間に弔問し、その場においてする香典につきましては、罰則の対象とならないということとなっております。
奥様の久子様は、皆さんに助けられ、皆さんのおかげで活動することができました、ありがとうございましたと、悲しみをこらえ、気丈に弔問の私たちに気遣い、感謝の言葉を述べられました。 まだ六十六歳、寂しさがしんしんと込み上げてまいります。残念で、無念で、痛恨のきわみです。 ここに私は、皆様の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと思います。
訪問直前に、私どもはお会いをするということを大変期待し、楽しみにしておりました原告の松本様が亡くなるということがございまして、行ってお話をするのが、かわりに弔問するという格好になってしまいました。お線香を上げさせていただいて御冥福をお祈りしたところでございます。
「これまで説明を二転三転させた反省はみられず、自ら弔問に行ったとする説明に矛盾する複数の証言があることへの反証もない。」「こうした事態を招いた責任の一端は、首相にもある。復興という最重要課題が閣僚の資質問題で前に進めない状況を放置することは許されまい。最後は首相の決断が必要となる。」 大変政権に甘いと思われる産経新聞からこういう厳しい社説が出ております。全く同感であります。
葬儀の日までに高木が弔問に行きというふうなことをわざわざ三回言っているわけですね。つまり、香典を持っていったのは葬儀の前であると。これは、後だと違法であるということを認知しているからだと思うんですね。つまり、これら今までお話ししてきたことは、違法だと知っているけれども、事務所がやりました、やったことを私は知りませんと言っている。
○国務大臣(高木毅君) 繰り返しになりますけれども、この件につきましても、私が葬儀の日までに弔問をし、香典を出したと思います。
ちょっとこの資料を見せていただいたときにそう思い込んでしまいましたが、この方については、三月三十一日に亡くなられて、四月四日が葬儀でございまして、三十日から一日まで地元に滞在をしておりますので、弔問に行っているというふうに訂正をさせていただきたいと思います。
枕元に、例えば、葬儀や通夜の前であれ弔問に伺う、そこに花が手向けてある。私ども、当然故人を悼むべく焼香等をさせていただく。しかし、そのところにこういう花がお供えであった場合、当然目が参ります。ましてや、お亡くなりになって直後であれば、そこにそんなにたくさんのものが、葬儀場と違って、ないわけでございますから。
計八件記載がありますけれども、それこそ、いずれも私がそれぞれ亡くなられた方へ葬儀の日までに弔問に行き、私個人の私費で出したものであることは間違いありません。私が弔問をし、香典を出したものを、収支報告書では担当者が政治団体の香典として誤って記載したことが確認できましたので、十一月六日に、その旨、収支報告書の訂正をしたということでございます。